数字の「1」は今後どうなるの?!

                       

宮  本  弘  毅    

(久喜市医師会報 NO6 寄稿 2003年7月14日未明脱稿 )

  昭和32年、浦和高校一年の「数学」の第1回目授業の時、高橋(不遜にも、first name を忘れました)先生が「数学史」の話をなされました。その中でメソポタミア文明の中でアラビア数字の「0」を発見した事により、その後の数学が飛躍的に進歩したとの話が何故か印象深く記憶に残っております。
  そして近き将来に同じ趣旨の表現が、浦和高校0年の「数学」の第0回目授業の時・・・・に「置き換えられる」のではと昨今感じております。
 
 私が小学校?年生の頃に、「満年齢」が国家的に正式に採用され、「0歳児」なる言葉が誕生し、現在所謂「カゾエの年齢」を使用する機会は皆無に近くなりました。私共の商売の領域では昭和58年より、最終月経初日を妊娠0週0日とし、それから280日後の40週0日が分娩予定日とされました。無論1週は7日ですが、0日、1日、2日・・・・6日迄と数え、分娩予定日が妊娠11ヶ月になりました。
 当初現役の gynecologist が「トマドイ」を感じ得なかったと云えば「ウソ」だと思います。この方式が採用されて今年で丁度20年になりますが、10年位前までは時にトラブルが生ずる事がありました。例えば、妊娠4ヶ月で流産した場合、満期産時と同等の「分娩手当金」等の支給が法制化されております。私が書いた「妊娠12週流産」の診断書に対し「市役所の役人」より、妊娠12週は「妊娠3ヶ月」ですが・・・等のクレームの電話が結構な頻度でありました。私は「妊娠4ヶ月とは妊娠12・13・14・15週の事だ!」と申し、電話を即「切る」事としておりました。
 話は代わりますが、私は昭和47年(=「ハイセイコー」号・鞍上:増沢末夫騎士)以来の「中央競馬会」のフアンです。中央競馬会も数年前より、「馬齢」を満年齢とし、「日本ダービー」を頂点とした、「4才クラシック・レース」も「3才クラシック・レース」と改名され、「新馬戦」も「2才新馬戦」となりましたが、最近は私も違和感を感じなくなりました。
 一昨年私共の病院を renewal した際、診察室を「0番診察」「1番診察」「2番診察」・・・・とし、病室も「200号、201号、202号・・・・、 300号、301号、302号・・・・」と命名しましたが、1階を「0-F」、2階を「1-F」と呼称する勇気はありませんでした。しかし、大きなビルで、「一階」の即下を、「地下一階」と呼称する事には、従前より私は「スッキリしないモノ」を感じております。「1ランク」跳んでいる様な気がして・・・・。
 
   computer では数字の「カゾエ方」は「0」で始まり、「9」で終わる様です。 そしてこの方法がより「自然(=natural)」で、森羅万象との「整合性」が更にあるとの事です。
 昭和の終わり頃に私共の病院では、給与・賞与・退職金等の算定に電算器を導入致しましたが、その際従来の「入職1年目、入職2年目、入職3年目・・・・」と云う数え型を「入職0年次、入職1年次、入職2年次・・・・」に改型しました。理由は算定式がより簡単明瞭で「simple is best」だからです。今後社会の末端に至る迄、更に電算化が進行し、それに伴い「人の GedankenGang 」もより computernization される事は自明の事と思われます。
 何かが改定されたり、導入された際に、過渡期に一部の「抵抗勢力」があるにしても、「奔流」はより整合性のある方向に向いており、人はそれに多少の時間で「馴れる」事を「東西の歴史」が証明しています
 その時私が存命であるか、否かは別として、小学校に入学して即「ピカピカの一年生」と云うのは「オカシイ」と主張する人が世論の多数派を占める時代も早晩来ると思われます。
 しかし「日本0の山は富士山」と呼ばれる時代迄は私の心拍動を続行させたくない気もします。