「何でも結構」と云うテーマへの回答

 宮  本  弘  毅  

(久喜市医師会報 NO2 寄稿 1999年7月31日未明脱稿 )
 

 本年5月6日、会報編集委員長の土屋與之先生より本報の原稿依頼の通達がありました。テーマは「何でも結構です」で、8001,200字で、締切は7月31日との事でした。まだ時間があるからイイヤと「型の如く」放置しました。例によって学生時代よりの慣習に忠実に従い、7月30日の夜半に初めて筆を手にしました。 冷えたビールを片手に、ワープロの前に座り、エート「何でも結構」がテーマじゃ具体性が無く、書き様がネーヨ!ぼやく事しきり(その間、コップを持った右手は「まめに」口に運ばれ、左手よりの紫煙により、密閉空調されたは「ウサギ小屋」は視界不良となる)。そして、ハッと思いつき「何でも結構」を書く事にしました。
 地球が太陽の周りを回る公転時間は、私の記憶に間違えが無ければ、3655時間4846秒のはずです(久喜小学校6年時に埼玉大学付属中学の受験の為に覚えました)。それで4年に一回公転日数を366日とする。これは妥当な事で納得できます。結果、4年毎に (1114秒)×4 = 4456秒 の不足が生じます。その為に、「うるう年」の25回毎に18時間4320秒の不足となります。なる程了解しました。100年毎に「うるう年」にしない根拠が! 処でその為に100年間に5時間1640秒が過剰になります。これが400年積もると、21時間640秒の過剰となります。西暦2000年が「うるう年」になりそうな根拠が解りました。 本来4年に1回の「うるう年」を100年に1回止め、400年に1回復活させなければないません。
 更に愚考すると、400年毎に2時間5320秒の不足が発生します。400年を10回繰り返すと、26時間5420秒の不足となります。 私の小学校6年時の記憶が間違えなければ、西暦4,000年のカレンダーでは2月29日は「無い」はずです。この法則に従うと、4,000年毎に更に2時間5420秒が不足になります。これを10回繰り返すと、29時間320秒不足になります。イヤイヤ大発見!40,000年毎に2月を27日迄とする必然性が生ずるはずです。即ち西暦40,000年、80,000年、120,000年、160,000年には、229日はもとより、228日も無い事となります。
 それでも40,000年毎に4時間320秒不足になります。結果200,000年毎に20時間1640秒の不足となり、西暦200,000年には2月を26日迄として調整する事が必須となります。その事により、200,000年毎に3時間4320秒過剰になります、さらに追求する事も可能ですが、原稿の締め切りを過ぎても、端数は clear されない事だけは確実デス。
 処で、暦も換わりノストラダムスの時効の日になりましたが、西暦20万年迄、地球が持ちこたえ、人類が保続し、尚且つ西暦を使用しているナンテ事はありえない事だから、上記の検討は全くの徒労でした。結論的に「何でも結構」な事への回答は「どうでもイイ」事でした。字数もイイ加減な処となりました。ノストラダムスの予言が当たり、この駄文が「ヒノメ」をみない事もあるカナ。大部酔いも回って来た様です。これにて脱稿します。
【Postscript
 
715日の久喜市医師会・理事会の席で「期限内に必ず書きます」と大見栄を切ったのは今にして思えば軽率でした。此処数日間題材が決まらず、「便秘 した様な」プレッシャーを受けました。無論現時点は爽快な気分デス。