慶応義塾大学医学部演劇研究会第36回公演

墓 場 な き 死 者

 

J.P.サルトル作
鈴木力衛  訳

             と き:1964.12.7.Mon   6:30pm 開演
             ところ:六本木俳優座劇場
[蛇足注] 同年10月に東京オリンピックがありました。

 

「演出」をマスタヴェションする阿呆


宮 本 弘 毅

  俺は今季公演にサルトルを取り上げた。それに対して部員諸氏は非常な熱意を持って協力してくれている。そして相互に議論し、相互に一見納得した芝居を造る事に努めた。勿論俺は可成りの横車を、詭弁を使って無理押しした。自分の満足の為に。そして帰宅の汽車の中で、幾度となく自分の欺瞞の為に圧せられた役者の心中を哀れんだ。阿呆な俺の犠牲者として。だが演出たる俺には、観客諸氏がいかに出来上がった”モノ”を受納なされるか皆目予想がつかなかった。又本日俺が観た感じと、全く異種な”モノ”として受納なされるものと考えた。だけど、このままヤル事に猛進した。支離滅裂を極めた感がある。それでもいい。反論すべきものは皆無である。
  観客諸氏は「オマエは自慰行為を観せるのに金を取る気か!」と憤怒なされるかもしれない。しかし俺は自慰行為でもよいと思った。そして俺は自慰行為に猛然ハッスルしたつもりである。又その為に部員諸氏に怒声を浴びせ、相棒をかつがせた。俺以外の部員連は救いようなきほど、不幸と云える。学生演劇、就中医学部演研と頭に歌っている俺達である。自慰行為が皆無と称したら、虚述を目する偽善者の弁と俺は決め込む。そして決して妥協しない。自慰行為を押さえた上で芝居そのものを観客に充分堪能してもらうのが理想かもしれない。しかし俺にはその為に必要な技量なんて無いのである。又同時に謙虚と云う美徳を俺は有していない事を明言する。それで俺は部員全体一弾化し、猛烈に自慰行為すれば、何か観客に芝居そのもの以外に、体で受納していただけるものが有ると推量した。バカ気た話かもしれない。それでもいい。阿呆は阿呆なりに事を処するものである。一生懸命走っているが、とてつもなく離れて、ビリを力走するマラソンランナーの魅力を、そして内心文字通り独走している自分に快感を持つだろう事を予想して、これを初めから求めて”コト”に当たるのは阿呆にしか出来ない事かもしれない。又その阿呆には「棄権」と云う二文字が状況的に許容されていないし、加えて阿呆根性がその二文字をひよわな女の所有物として一瞥をも許さぬのは、不遇と云うべきか。俺には解らない。だが東京のいたる所を掘っくり返し、とんでもなく巨大な競技場を造り、タイマツを地球の裏側からカツギ出し、さらには国中持ち廻る様にバカデッカイ・スケールで、そして可成りの成績を修めて初めて、アマチャはプロを圧倒できる今日、十余人のハッスルした自慰行為なんて、嘔吐の出る様な汚い”モノ”かもしれない。だけど俺はその自慰行為を観客諸氏に観せたかったし、是非観てもらいたかった。エゴからでなく、ド阿呆の足掻きとして・・・・・・。 

 俺達の部室は国立競技場と間に国電を挟んで真向かいのビルディングの四階にある。窓越しに聖火台だって見える。俺は開会式が行われていたその時、窓にカーテンを掛け、窓に背を向け、薄暗い部室の中で一人この「墓場なき死者」の台本を読んでいた。そして強烈な祝砲が、拍手が、ファンファーレが鞭の様にコルテイ氏器官にインパルスを送るとき、さらに台本にしがみついたのだった。しかし俺はこうしている自分がたまらなく好きなのだ。又同時に一億総オリンピックナイズしている世間が羨ましくも感じた。俺自体そのものが自慰行為者なのかもしれない。俺は世の中の半端者なのだろうか? 恐らくそうだろう。それでもいい。俺はヤリ、観せ、諸氏の批評に打たれる微笑しながら阿呆の様に、いや根っからの阿呆として。そしてふと天を仰ぎこうつぶやくだろう。「明日も晴れてくれればいいンだが、俺は餓鬼の頃から寒い日は無性に嫌いなンだ」と。又そのとき誰かのデッカイ笑い声が聞こえるだろう。「そんな事どうにもなりゃせんヨ。どうにもなりゃせんヨ。」とエコーして・・・。

press-inf.gif (1562 バイト)press-top.gif (702 バイト)