「home page 開設の挨拶」に換えて   

私とインターネットとの関わり合い

院長 宮本弘毅

(平成10年05月20日深夜 脱稿)

哲人
  Birmingham Summit も終わり、多少は経済情勢も好転するのかと期待していた処、株価は更に下落し、円安は進行しています。何処かに「歯止め」はあるのでしょうか? Indonesia の政情不安、India-Pakistan の核実験、アジア経済の落日の様な崩落。世紀末に向かって、地球規模で「悪い方向」に猛進している様に見えてなりません。
 ?%の値上げの約束で本年4月に行われた「診療報酬の改訂」も1ヶ月半を経過して、いよいよ馬脚を表して来ました。またまた厚生省に騙されました。もっとも過去に何度となく同じ相手に騙されているのに、他に行き場のない甘い期待を持つのは、救うすべも無い「哀れな存在」か、はたまた「へそに忍と印した」哲人か・・・・。

  平成6年の暮から翌年にかけて Internet のハウツー本が近隣の書店の書架に一斉に並んだ事がありました(今でも並んで いますが、それ以前には専門書以外はこの種の本は殆どあまりありませんでした)。数冊を乱読しましたが、その内の石田晴久著「はやわかり インターネット」は例外的に初めから最後迄10回近く熟読しました。非常に参考になりました。

Internet 更に疑問な点を著者に直接手紙で質問した処、現職の東京大学教授でご多忙な先生と推察されましたが、非常に丁重な御返礼を頂ました。感謝・感激し、図に乗って3度程質問しましたが、その度毎に同様に御厚遇を賜りました。ある時には手持ちの新刊雑誌の頁を破って同封して頂ました。一面識もない私としては、恐縮の限りでした。「偉く」なる人は違うなと思い、一時期自分自身の行動でも「心がけ」ましたが、何時の間にか元に戻ってしまいました。

  平成7年3月に、天下の Ascii 社(当時順調そのモノの会社と思っていました)が PPP(Point to Point Protocol) の Provider を開局し、即登録しましたが、MODEM(MOdulator DEModulator)、 TA(Terminal Adapter)、 通信ソフト等全て指定で、NEC 98シリーズ の場合は折角引いた ISDN(Integrated Service Digital Network) 回線も TA(OKI PCLINK TA) の Analog-Port でしか使えませんでした。

 
 一方、同時期に ISDN 回線を NTT 久喜に発注したわけですが、当時久喜管内では ISDN 回線は「通信カラオケ」をお店に置いてる花街の利用者しかいませんでした。NTT 久喜の職員が沖電気のサービス・センターの電話番号を私の処に問い合わせてきて、NTT 久喜が沖電気(他のメーカーは未だ TA を製品として発売していませんでした)に何度か問い合わせをしてた様でした。NTT 久喜の技師は TA が初めてらしく TA に Analog-Port があるのを知らなかった様です。

 Ascii 社が指定してきた通信ソフトは、NetManage 社の Chameleon 又は Spray 社の Internet Office でしたが、前者が定番で当時20万円近くしました。後者は4・5万だったと記憶してますが、両者とも米国製で NTT 固有の ISDN 回線に対応してませんでした。無論廉価の方を選択しましたが、回線は TA の Analog-Port しか使えないと云う情けない仕様環境でした。

 Ascii 社が指定してきた MODEM は Midori-Hayes 社の Optima 28800 他2器種でした。これを購入し、価格はそれ程でもなかったと思いますが、初めて手にして驚いたのは「器械カバー」がブリキ製でした。少なくとも当時日本製の電子機器でブリキの箱に入ったモノ等考えられませんでしたから。
 次いで又難関にぶつかりました。私の desktop は、NEC-9821 Xt で、com port は 19200bps 迄しか対応していませんでした(私のは平成6年10月に購入した製品で、平成7年以降の同じ型式の製品はこの MODEM に対応していた様です)。浅学な私には当時この事は致命的な事の様に見え、思いあまって上記石田教授に相談しました。教授は懇切丁寧に「高速シリアル port」が市販されている事、更にはそのメーカー迄もご教示賜えました。一度死んだモノが生き返った様な心持ちでした。と同時に先生よりインプレス社の月刊雑誌「internet」を購読する様に勧められました。ご卓見に従った事は云うまでもありません。

 これで Internet に繋がりました。Internet に debut したのは、平成7年の golden week 中だったと覚えています。当時の定番は NTT の home page より surfing を開始しました。国内私設の home page としては「水野薬局」さんが卓越しており有名でした。私が access した news は medical 関係で、AIDS(生物学的製剤の認可)に関連し元厚生官僚で現職の東京大学医学部衛生学教授(=平成10年定年退職)が時に話題の中心になってました。
 無論 PlayBoy や Pentohouse にも行きました。日本の週刊誌では考えられない「あまりの露出度」にビックリしました。何れかの home page では、ある処迄行くと幾つかの国名が列挙され、その国の人は「これより先」には行けませんと書いてあり、その中に Japan もありました。その先に例の photograph があった訳ですが、幸い(?) 私は英語があまり堪能でないので、画面の意図する事が充分に理解できず、間違って行ってしまった様です(現在は知りません)。

ISDN board
 平成7年7月下旬に、マイテック社(後刻倒産)より「Surfing Board 64」が発売になりました。provider も推奨した board であり、即購入しました。結果、本来当初に意図した Internet への ISDN 回線での接続が完成し、山を登りつめた感じでした。と同時に変なモノで、Internet への関心は日毎に薄れました。当時自ら発信基地になろう等とは考えもしませんでした。振り返ってみると私の興味の中心は、Internet surfing する事にあったのでは無く、自分の desktop を Internet に接続する事にあった様です。 同じ様に当時より2年位前(平成5年前後)に「ハマリ込んだ」パソコン通信の場合も、通信ソフトの autopilot や macro を自作する事に興味の中心があり、フォーラムや会議室で「主張をガタガタ debate」する際にはいつも ROM(Read Only Member)でした。

 平成7年11月23日「Windows 95」が販売され、続いて「Plus!」を手にすると、Internet は全くの「バカ・チョン」時代に入りました。一応「Surfing Board 64」の driver を 32bit に version up しました。 しかし、Internet 自体に目的意識が全く生ぜず、その後の2年半位の間は月に一度も access しない月が連続する迄に、疎遠になってしまいました。一方昨年の12月冒頭には、想像もしていなかった愛用の Ascii 社が業績不振の為吸収合併され、リストラの一環として provider 業務より撤退する事態になりました。尤も、main としては使用していませんでしたが、それより1ヶ月前より他の provider とも契約しておりました。

home page builder
  昨年の秋位より、中学生の次男が学校で Internet を習ってきて、時に私の desktop でゲーム感覚で internet surfing する様になりました。後ろからのぞいていると、私が知っている2年前の Internet と別モノで遊んでいる様に思える事もありました。この4月に子供が遊んでいるのを後ろから見ていた時、InterQ の home page で domain 登録の値引き campaign をしているのを偶然知りました。 その際に、domain 登録し、my home page を作る気になりました。久しぶりに、Internet の方へ触角が向いた次第です。一っやってヤルカ! 「IBM Home Page Builder Ver 3.0」 を買ってきました。しつこい程に丁寧に書かれた本です。

万歳猫
  home page の原稿も何となくカッコ付いたので upload する事にしました。我ながら「マー・イイダロー」と思っております。私は元々美的音痴(変な表現ですが、「美痴」よりマシ?)で、小・中・高校時代と一貫して5段階評価で4以上をもらった事のない実力です。 自ずと美的感性の高望みは不能であり、己の DNA の連鎖配列を恨むしかありません。

 処で最近他人の home page に全然 accessしてないので、感覚がズッコケテいると思いますが、オイオイ是正していくつもりデス。今後ともよろしくもよろしくお願いします。 

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